前回、沢山の方に貧乏生活物語を読んで頂き本当に有難う御座いました。
いつもより倍近くの方に訪問して読んで頂いた事に驚いております。
1話~4話の中で伝えていない良い事、悪い事、伝えきれなかった良い事、悪い事、そして私が育った場所の紹介と共に書いていきますので、また最後までお付き合い頂けたら幸いです。
幼少期に経験した辛い過去を自分目線で書いていますので、この貧乏生活物語を読んだ方々は、私が可哀そうと思う方も居たと思います。
しかし哀れな少年という一面だけではなく、悪い一面もあったという事も知って頂かないとフェアーじゃない様に思えて、スピンオフとして悪の部分を中心に数話に分けて書いています。
読んで気分を害する方も出ると思いますが、これもまた私が経験した事実なので批判を甘んじて受ける所存で公開させて頂きます。
私が生まれ育った場所は、旧浦和市南浦和3丁目※今はさいたま市南区南浦和3丁目。
南浦和団地に囲まれた2k風呂無しのアパート住まい。
右側にマンションが建っているが、昔は私が住んでいた2Kのアパートがあった。
同じ位置の写真だが、昔とは全然違う。団地も新しく建て替えられている。
アパートの目の前に舟山公園があり、周りを南浦和団地に囲まれていた。
近所の子供達と遊んだ舟山公園。
子供の頃は、広い森の公園に思えたが、大人になって訪れると意外に小さく感じる公園。
その懐かしい公園に踏み入れる事にした。
子供の頃、駆け回っていた記憶がよみがえる。懐かしいなぁ。
犬達は落ち葉のじゅうたんを踏みしめながら歩く事が楽しいみたいでした。
舟山公園からさくら公園の途中、右側にセブンイレブンがあった。
食パンのミミを袋いっぱいに入って30円で売っていたセブンイレブン。
なんども買って飢えをしのいだ。
放課後、みんなで野球をやったさくら公園。
昔とはなんか微妙に感じが違う。
みんなが買い飲んでいたミリンダやペプシを売っていた駄菓子屋さんはもうない。
自動販売機にもミリンダは無い(笑) 今は整骨院になっている。
切ない思い出の場所(笑)
私が通った銭湯”大黒湯”はもうない。茶色いマンションになっている。
この公園でも遊んだ。今はただの砂場だが、当時は象の形をした滑り台が砂場の中にあった。その砂場に水を入れてドジョウすくいをお祭りの時にイベントであった。
昔、この通りにお肉屋さんがあり、揚げたてのコロッケも売っていた。
サラサラのパン粉で揚げたコロッケが1個20円。物凄く美味しかった。
大変お世話になった文房具店のすずらん堂。
朗らかで優しいおばちゃんが店番をして、いつも温かくお客さんを迎えていた。
そして何故か我が家の事情を色々知っていた(笑)
何故、家庭の事情を把握していたのかは不明。でも行く度に気にかけてくれた。
この通りは、私が小学校、中学校と通った通学路。
その途中に駄菓子屋さんがあった。
そこで従妹の姉ちゃんたちと糸ひきアメや大吉ガム、すももなどを買って食べた。
父ちゃんが通った道を歩いて昔住んでいた家の方に行こう
1kのおんぼろアパートが建っていた場所。今はアパートを建築中。
このアパートに住んでいる時が一番辛かった。
母から首を絞められて、怖くなって家を飛び出し、この場所で震えながら立っていた場所。
もしかしたら母が追いかけてきて、殺されるかもと脳裏を過った場所。
貧乏生活物語では語っていない事があり、母の家出は1回だけではない。
1Kのアパートに引っ越してきてからも家出をしていた。
その時、アパートの前で母の帰りを待っていた景色。
遠くの方を見つめ母の姿を探していた。
私が生活していた南浦和三丁目周辺を犬達と一緒に歩いたが、当時の辛い記憶、楽しい記憶も沢山あり歩きながら思い出の地を巡り甦ってきた。
今は幸せな生活を送っている。小さい時に夢にまで見た犬を飼う事も出来た。
そして大型犬を飼い一緒に寝る事も出来ている。
辛い経験をして色々な経験をしたからこそ、今の幸せがあると思っている。
明日からのスピンオフは、哀れで健気な私ではなく、悪の私についても語らせて頂きたいと思っています。
辛い思いをした子供という側面だけではなく、反対側では真逆の生活も送っていた事も事実として伝えないと整合性が取れないと思っているので赤裸々に書いています。
見る人によってはドン引きされると思いますが、子供時代に私が起こした悪の一面も伝える事によって完成されると思いますので、良ければお付き合いください。
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