また男に翻弄される母
それから数年、母は仕事に就いたりしが長続きしないで無職状態が続く。生活保護を受けた事も何度かあった。一向に我が家はお金が無い。電気など停められる事に慣れてしまった。いつもの様に電気が停められた家。真っ暗だ。トイレに行く際はローソクに火をつけて持って入る。出てくれば火を消す。この非日常が我が家にとっては日常。子供ながらに、大人になり家族を持つようになったら絶対、自分の子供には同じ様な境遇をさせない!と誓った。
ある日、母が笑顔で仕事見つかったよって喜びながら報告してくれました。そんな喜ぶ母を尻目に心の中で「また直ぐに辞めちゃうんだろう」と思っていました。仕事内容はパチンコ屋さんの開店前のお掃除。なので午前中のみの仕事。労働時間が短いので収入は僅かで公共料金を毎月払える様な額ではない。その為、電気やガスなどが停められる時が頻繁にあった。母が仕事に行くようになって1ヶ月後ぐらい経過した頃だろうか、夕方から頻繁に出掛けるようになった。そしてある日、母から「今日夜帰らないからね」と唐突に言われた。どこいくの?と聞くと、答えないで誤魔化す。出掛ける前にお弁当を作って家を出ていく。その頻度がたまにから毎日になった。毎日母はお弁当を作り誰かの家に行っていた。流石に子供でしたが分かっていましたよ。また男だなと・・・。納得できなかった事は、お金に余裕もないのに、男の為に弁当を作るって疑問を感じていました。どうやら勤め先のパチンコ店の従業員と付き合っているらしく、夜な夜なその男の元へ通っていました。帰りは翌日の朝10時ごろ帰宅。なので母と会う時間は学校から帰宅後の僅かな時間のみ。そして仕事をいつの間にか母は辞めていた。どうやらお店に付き合っている事がバレたので辞めたと後々聞かされた。それでも母は男の元へ通う事をやめない。電気が停められようが、お構いなしに男の元へ通う。夕方、陽があるうちに母は男の元へ行く。残された私は、電気の点かない真っ暗の部屋にひとりぼっち。ローソクを灯しながら宿題をする。楽しいはずのテレビは観れない。そして友達同士の会話についていけない。私は電気が停められた暗い部屋に一人で寝る。朝起きても誰も居ない。一人で食べる朝食。こんな生活を何ヶ月も続いた。
奇妙な体験
私達が住んでいたのはアパートの2階。手前から3番目の部屋だ。1番目の部屋は空き家になっている。隣の部屋には男性が住んでいた。引っ越しの時に挨拶に行った時しか会った事が無い。ある日からなのだが、隣の男性宅の前を通ると変な気分になった。何が原因だが分からない。以前は、そんな変な気分にならなかった。そんな状態で数か月が経過した頃、家に帰ると警察の車が止まっていた。なんだろうと2階へあがると隣の人が亡くなっていた様だ。死後、数か月は経過していた様だ。私が隣の家の前を通ると変な気分になるのは、これが原因だったのか・・・。当時、まだ子供だったので、人の死について怖いものと認識していた。その日、母にお願いをした。今日は行かないでと。母は笑いながら「大丈夫よ」と言い残し男の元へ行ってしまった。その日の夜は、いつも以上に怖いと思った。真っ暗の部屋に私ひとり。誰にも看取られず一人寂しく死んだ人が居た部屋が隣。
幸せってどういうもの
この時期考えていたのは、幸せってどんなんだろう。幸せってどういうものなのか知らなかった。感じた事が無い。毎日生きている事に辛さを感じていた。こんな日常がいつまで続くのだろうかと考えない日は無かった。
同級生の親が扉の向こうに立っていた
私が中学性になっても貧乏生活は改善されなかった。相変わらず男の元へ通う母。公共料金未払いで停められる事も続いている。ある日の夜、我が家のドアをノックする音がした。電気が停められているので灯が点けられない。恐る恐るドアを開ける。扉の向こうには見知らぬおじさんが立っていた。どちら様ですか?と尋ねると〇〇の父親だけど、と言う。同級生の父親が立っていた。こんばんはと挨拶をする。お母さん居る?と尋ねられるが不在ですと返答する。じゃ私が来た事をお母さんに伝えておいてと伝言を預かる。翌日その事を伝えても母は知らん振り。そして別の日にも同級生のお父さんが訪ねてきた。お母さん居る?と尋ねるも母は男の所ですと言えず、また不在ですと答える。そうすると同級生のお父さんが「君のお母さんにお金貸してあるから返して欲しい」との衝撃的な言葉を放つ。いつもクラスで会っている近所の同級生のお父さんから借金をしていた。この事を聞かされた瞬間、頭の中が真っ白になった。明日から同級生に会う事が恥ずかしくなった。居ても立っても居られないぐらい衝撃的な出来事だった。その後も、その同級生のお父さんが家にきて、お金返してと返済を迫る様になった。この事を母に伝えたが、借りてないと言い切った。もう本当に辛い。
心が壊れていく
暫くするとパチンコ屋の従業員と別れたと中学2年の時に聞かされた。男と別れてからは毎日家にいる。しかし仕事はしていない。お金も無い。でもタバコを吸うお金はあるようだ。ある日先生から呼び出され給食費の滞納があると知らされる。それだけではなく修学旅行のお金も滞納しており修学旅行も行けないかもしれないと言われた。私自身、相当ストレスがたまっていて母に思いっきりぶちまけた。何故仕事しないの?お金が無いのに何故タバコを買うお金はあるの?給食費、修学旅行の積立の事とか溜まった物を全て母に向けてぶちまけた。お金払ってないのに給食を食べているってどんだけ後ろめたい気持ちなのか分かるか?私の中で、何かが切れた。凄い勢いで母に怒鳴り散らした。母が何も言い返せないぐらい。私自身精神的に限界を超えていた。
無理心中
その日の夜中、寝ている時、なぜか苦しくなって目が覚めた。ふと目を開けると母が、馬乗りになりタオルで私の首を泣きながら力強く締めていた。とても苦しかった。慌てて母の手を払いのけ飛び起きて裸足のまま外へ逃げ出した。怖かった。手足の震えが止まらなかった。1時間ぐらい外で立ち尽くす。そして恐る恐る部屋に戻ると母は泣いていた。私を見て「一緒に死のう」と言ってきた。私は母に「死ぬなら一人で死んでくれよ!俺は死にたくない!」と冷たく突き放した。それから母と色々と時間を掛けて話しをした。落ち着いてきた様なので、とりあえず寝る事にした。しかし寝たら殺されるかもしれないと思って、その日は寝れなかった。今度は包丁で刺されるかもしれないと思った。母は逆上すると何をしでかすか分からなかったからだ。以前、付き合っていた男性の車のフロントガラスを叩き割るぐらいだからだ。
人の優しさを知る
前回、先生から呼び出されてから数日後、また先生から職員室に呼び出される。先生から「ペンギン侍のお母さんと話をしたいから、今日お前の家に行くね。帰ったらお母さんに伝えてね」と言われ帰宅後、母に先生からの伝言を伝える。母は怒った口調で何しに来るんだと私に突っかかる。やがて先生が家にやってきた。部屋に招き入れ母と話を始める。その横で私は二人の会話を聞いている。先生が何故、給食費や修学旅行の未払いが起こるのか事情を聞いた。母は言い訳ばかりを口にしている。自分は悪くないと主張している様に聞こえる。それを横で聞いていた私は情けなくなって、その場を離れたくなっていた。母の愚痴めいた話を聞いた先生は少し強めの口調で「もういいですよ。わかりました!」と言って立ち上がりました。先生を見送る為、一緒に外まで出てきた時、先生から小声で「頑張るんだよ」と優しい口調で私に投げかけてくれました。その優しい言葉で緊張の糸が切れたのか、涙が溢れ出してきた。先生は「大丈夫、大丈夫」と背中を優しくさすってくれた。
数日後、先生はまた家に来てくれた。母に修学旅行のお金は学校の方でなんとするので心配いらない。滞納している給食費は私が自費で払うと申し出てくれた。それを聞いた母は先生に対して深々と頭を下げていた。やるせない気持ちになった・・・。
それから先生は私を気にかけてくれ時折、家に訪問してくれるようになった。その時、料理を作りタッパに入れて持ってきてくれた事もあった。
他人から優しくされた事が無かったのでとても嬉しかった。それから先生には色々な相談をさせてもらった。この先生が私に対して「人生には良い事も起きれば悪い事も起きる。悪い事は永遠とは続かない。必ず良い事も起きるから、それまで頑張れ」と励ましてくれました。その言葉を信じ逆境を乗り越え生きてきた。この先生との出会いが無ければ今の自分はないと思う。そして大人になり、私に足りなかったパーツを埋めてくれた妻に感謝。私に幸せを与えてくれた妻に感謝。妻と出会い、結婚しなければ今の幸せも無かったと断言できる。人との出会いで人生も変わる。
生きる事が辛いと思っている人に対して、私から伝えたい事がある。
よく聞く言葉だが、
止まない雨は無い
必ず転機は訪れる。それまで耐え凌げ!
生きろ!!
この私のつまらない記事に4日間も付き合って頂き有難う御座いました。明日からいつもの、他愛もないブログに戻ります。悩んでいる人が居れば問い合わせフォームから連絡下さい。全ての相談に的確な答えを出す事が出来るか微妙ですが、お金の相談意外だったら受け付けますよ。