転勤
神奈川に赴任中、妻と知り合い結婚をした。
新婚生活開始時は藤沢市石川だった。
事業拡大の為、藤沢営業では狭くなったので鎌倉に営業所を移したのを機に、我々も栄区公田に引っ越した。
当時もお金が無かったので安い公団に申し込み入居した。
昔ながらの古い団地で山の頂上に団地が建っていた。
当然見晴らしは良いのだが、かなりの長さの登坂を登って行かなければならず辛かった。
私が生まれ育った浦和と違って藤沢も横浜も坂が多い。
でもとても住みやすい所だった。
特に嬉しい事は鶴岡八幡宮に自転車でお参りに行ける事と海に出掛けられる事だ。
なんってたって埼玉には海が無い。
憧れの海へ自転車で行けるなんて夢の様だった。
こんな住みやすい街だったが、赴任期間満了になり浦和に戻ってきた。
浦和に戻る
浦和に戻ってきてから、月一ぐらいで母と食事をする様になった。
暫くの間は、微妙な距離感で付き合い特に問題などなく過ごしていた。
結婚して7年目にしてやっと子供を授かり、子供の為に家を買う事にした。
その事を伝えると母も喜んでくれた。
後で知った事だが、従妹のお姉ちゃんが母に要らぬ言葉を刷り込んでいたらしい。
私達が買った家は、母と一緒に住む為に買ったんだよと言っていたらしい。
住宅ローンが通り、契約が終了して引っ越し。
かたずけなど落ち着いてから、いつもの様に母と定例となった食事会をしていた。
引っ越して数か月が過ぎた頃、母と食事をしていたある時、とうとう話を切り出してきた。
私達が買った家に住めないのかと質問してきた。
私ははっきりと母に伝えた。
家を買った目的は、娘の為に買ったもので、一緒に住む為に買ったものではない事をはっきりと伝えた。
その言葉を伝えたら母は肩を落として、従妹のお姉ちゃんが私と一緒に住む為に家を買ったんだよと言われたから期待していたらしい。
私からすれば一緒に住むなんて絶対あり得ない事だ。
それでもぎくしゃくした関係のまま定例の食事会は行い、あの日を迎えた。
何が原因で怒らせたのか覚えていないが、過去からの積もった鬱憤が一気に出たのかと思う。
それから母とは疎遠になり、あえてこちらから連絡する事もしなかった。
私としては穏やかな平和な日々を過ごす事が出来て幸せだった。
疎遠になってから5~6年後にテレビが壊れたから新しいのを買ってくれという内容の電話だった。
いきなり電話してきてテレビを買ってくれとは本当に自分勝手な人だ。
もういい加減にして欲しいと思ったので、買う代わりにもう関りを持たないでくれと話した。
母からは「本当に薄情だよね」「自分達だけが幸せならいいのか」などと罵倒されたが、本当にこの人との縁を切りたかった。
母はどうしてもテレビが欲しかったようで、私の申し出に渋々承諾して電話を切った。
直ぐにテレビを買いに電気屋へ行った。
多分自分で接続などできないから家に来て接続してくれと連絡が来るだろうと想定ていたので、接続、設置もしてもらえる業者オプションも付けた。
案の定連絡が来て、設置が出来ないから設置しに来て欲しいと言われた。
これも織り込む済みだよ。
これで母との縁が切れて平和な生活がまた送れると思った。
しかし先日テレビの件から3年後、また母が電話ではなく直接家に来た。
インターホン越しの母が怖かった。
つづく