2011年3月11日の東日本大震災から10年が経つんですね。
みなさんは、この時、何処にいましたか?そして何をされていましたか?
私は会社の事務所で自分の机で仕事をしていました。
14時46分三陸沖、深さ24kmを震源とするマグニチュード9という大きな地震が起きました。
事務所に居る社員のスマホから一斉に緊急地震速報が鳴り出した。
けたたましい音量で緊急地震速報が鳴り続け、各々周りに居た従業員の顔を不安げな表情で見つめ合う。
地震くるの?
次の瞬間、ドカン!といった大きな揺れが建物を揺らす。
事務所内に響き渡る悲鳴。
私は座りながら机を掴み動かない様にしていました。
直感でこの地震はやばいと感じ、揺れながら妻へ電話を掛けました。
その電話に妻が出て、揺れながらお互いの無事を確認。
電話を切ってしまうと繋がらなくなると思い、このまま電話を切らずに数十分繋いだままいました。
1回目の揺れが収まって暫くすると、また先ほどよりも大きい揺れが・・・。
総務の人が外に避難して下さい!と大きな声で従業員を外へと誘導。私も外へと避難しようと席を立ち周りを見渡したら、事務員のTさんがパソコンで作業中(汗)
Tさん避難しよう!と声を掛けると「後もうちょっとで終わるんで先に行ってて下さい」と笑顔で返事が返ってきた。
流石にこの揺れは尋常ではないので無理矢理連れ出し外へ避難しました。
外に出ても揺れは収まらず、みんな不安な表情で立ち尽くしていました。
外に避難した従業員達が「電話繋がらない」と嘆いていました・・・。
私は電話を繋ぎっぱなし・・・。
妻と話していると「テレビ見れる?津波凄いよ」と言ってきましたが、外にテレビなど無い。それに津波って言ったって映画の世界じゃあるまいし、大袈裟だなと内心思っていましたが、スマホのテレビを従業員から見せてもらい、画面の映し出されている光景に・・・。
津波が街を飲み込んでいる。
こんな光景信じられない。
どうなっちゃうんだ。
外に避難している従業員に向けて役員が「女性は直ちに帰宅して下さい」と命令が下される。男性従業員も被害状況を確認後、帰れる者から順次帰宅して下さいと言われた。
私も帰社していない部下に連絡を取り安否確認をして、全員が会社に無事戻ってきた事を確認してから帰宅しました。
いつもは幹線道路を通り通勤していましたが、この日は渋滞で車が全然動かず抜け道を使いながらなんとか帰宅。
帰宅すると親戚の子供がいました。
学校から自宅へ帰宅しようとバスに乗っている時、地震が発生。
バスを途中下車して我が家へやってきたそうです。
家につくなり妻に会えた安心感からか泣き崩れたそうです。
親の仕事場は都内なので、電車が止まり自宅へ帰れず社内で一泊したそうです。
私達が住んでいる地域では、幸いにも大きな被害は無かった。
発生から毎日の様にテレビの報道で被害状況を知らされ、ただ驚愕するばかり。
多くの犠牲者のご冥福をお祈りを申し上げます。
昨年、津波被害にあった福島県いわき市小名浜へ行ってきました。